エジプトで食べたパンは美味しかった。
こんにちは、kyokoです。
あなたの家の近くには、美味しいパン屋さんがありますか?
私はしょっちゅう行く、美味しい石窯パン屋さんがありました。
世界のパンの歴史
・紀元前1万年メソポタミアで小麦の栽培がはじまり、その頃はまだ粒のまま炒ったり、お粥にしていたそうです。
・紀元前6000~4000年頃、小麦を粉にして水で溶き、うすくのばして焼く方法がうみだされました。
無発酵でつくられたこのピザ状の食べ物がパンの元祖とされ、アジムと呼ばれていました。
メキシコのトルティーヤも無発酵パンの一種です。
・紀元前3500年頃、焼く前のパン生地を放っておいたところ、暑さと野性の酵母菌が発酵を導き、それを焼くことで膨らみをもった発酵パンが偶然できたそうです。
・紀元前3000年頃つくられた古代エジプトの墳墓の壁画には、発酵パンの作り方が記されています。
・紀元前2500年頃には、200種ものパンがあったと記録されています。
・古代エジプトの発酵パンの製法は進化しながらギリシャを経て、紀元前200年頃にローマに伝わり、ベーカリービジネスが確立されました。
・15~17世紀の大航海時代にヨーロッパから世界中にパンが広まりました。
・現在、麦の性質、環境条件、消費者の好みにより、各地で固有のパン食文化が発展し、パンは世界中で食べられています。
日本のパンの歴史
・1534年、ポルトガル人が長崎に漂着、その後、宣教師たちにより、キリスト教、鉄砲とともにパンが伝えられたとされます。
・1639年、鎖国令によりパンは日本からほぼ姿を消しました。(長崎のオランダ屋敷では、細々とつくられ続けた。)
・明治維新の頃、保存と持ち運びしやすいので兵糧食として、伊豆韮山代官の江川太郎左右衛門が、1842年日本人としてはじめてパンの試作を行いました。(乾パンのようなもの)
・1860年代には、横浜で外国人や軍用にベーカリーが数店舗誕生しました。
・銀座に木村屋が開業し、日本酒の酒種で生地を発酵させ、日本人の好みに合わせたあんパンをつくりました。1875年には桜の花漬けをそえた、桜あんパンを明治天皇に献上しています。
その後、ジャムパン、クリームパン、など日本人好みのパンの開発がすすみましたが、食事用としてのパンの普及はすすみませんでした。
・1945年、戦後日本の食糧難に対して、GHQが小麦や小麦粉を支援し輸入小麦でコッペパンをつくり学校給食がはじまったことで、パンの普及は急速に広まりました。
・その後、ライフスタイルや食生活の欧米化がすすみ、パンは日本人の食生活にとって欠かせない食品になっています。パンを大昔から主食としてきた国々以上に、いまはさまざまなパン製品でにぎわっています。
結び
パンは小麦でできているという問題
パンの原料である小麦は、グルテンという消化に問題のあるタンパク質をつくります。
そしてもう一つ、「ポストハーベスト」です。
ポストハーベストとは、輸入品の輸送中に、作物が虫や環境の変化でダメになってしまわないよう、収穫の後に振りかけられる農薬のことです。
カンキツ類には「防腐剤を使用しています。」と書かれています。
日本から外国へ出荷するとき、ポストハーベストは禁止されています。
しかし日本にやってくる農産物にポストハーベストをかけることは禁止されていません。
(ポストハーベストについて詳しくはこちら厚生労働省 残留農薬)
(日本では小麦、大豆、トウモロコシの9割以上を輸入に頼っています。)
小麦は農薬をたっぷり使って育てられるそうです。
そして収穫後、輸送のためにまた農薬が使われます。
小麦を食べると調子が悪くなる人でも、国産小麦だと大丈夫だという人もいるそうです。
日常的に食べるものは、なるべく安全でからだの負担が少ないものにしたいですね。
弾丸ツアーで行ったエジプトで、食事に出されるパンがすごくおいしかった。
日本は戦後からだけど、エジプトはパンの歴史がとても長いのでした。
パンは大好きですが、今はたまにしか食べません。
なので、食べるときはすごくうれしい。
パンが焼ける匂いは、なんともいえずいいですね。
今回お世話になったサイト
パンといえば、「麦」。 ドンク
日本にパンが伝来したのはいつ?パンズカン
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