書こうと決心できた、本当の理由。

2019年12月4日

本を読んでも、重い腰はあがりません。

本を読んで、書きたい気持ちはいっぱいになりました。
もう一度、やってみようかなという自分へのかすかな期待。

しかし、行動にはなりませんでした。

自分にはなかった視点や、わかっていなかったところが理解できたとしても、日常に流され、疲れることはやりたくないというのが本音です。
これ以上自分が何かを書くなんて、なんだか時間の無駄のような気がするし。

 

 

友人が、先日ガンで逝ってしまいました。
葬儀は身内のみで行われたので、私は情報としてそのことを知っただけです。
今も実感がない。

 

 

友人は今も生きている気がする。
そのくせ、わけもなく涙がこぼれます。
心はそのことを認めたくないのだなと思います。
その現実も悲しみも。

 

 

中学3年で同じクラスになり、毎日お弁当を一緒に食べました。
たわいない話が楽しかった。
別々の高校になると手紙を書き、友人からも週に何通も手紙が届きました。

 

 

いったい何をあんなに書いていたのだろうと思います。
混沌とした若さゆえの不安を、たわいないことを書くことで、やりすごしていた気がします。

好きとか嫌いという色恋ではなく、感性が求めあっていた。
これは僕たちにしかわからないね。なんだろうね、静かだ。

 

高校を卒業してからは、数回会ったきりです。
長い間、別々の人生を歩みながら、年賀状だけは続いていました。

 

 

二年前に再会したとき、すでに友人はガンでした。
会うたびに、痩せていくのが切なかった。

 

病状は進むばかり。
治療の副作用に苦しみ、痛みを麻薬でごまかす毎日になりました。

 

最後のLINEはやけに明るく、なんだか違和感がありました。
数日して、訃報の連絡が入りました。

 

それから梅雨のように雨が降り続き、ニュースになりました。

 

情報としてその言葉さえ聞かなければ、私はまだ友人が生きていると思っているでしょう。

 

 

 

私はどうしたら、唯一無二の友人を失わずにすむのか。

 

 

そして、書くしかないなと思いました。

 

 

書くとき、私はいつも友人を念頭に置いている。
すりこまれた、癖のように。

 

 

書いている限り、友人はそこにいて笑っています。