玉川上水は江戸の人々の水不足を解消し、今も清らかに流れています。
こんにちは、ゆるまじです。
私はかれこれ28年間くらい、博物館でバイトをしています。
データ入力、サメの歯の化石整理、展示の準備、フィールドワークのお手伝い、観察会の準備、化石のレプリカ作り、地形模型制作など、楽しくやらせてもらっています。
昨日は街中の自然観察で、武蔵野の水と地形がどうなっているか、玉川上水をテーマに東京都羽村市から立川まで、途中電車を乗り継ぎながら、かなりの距離を歩きました。
玉川上水は、1653年江戸市中への飲料水不足を解消するため、奥多摩渓谷の入口にあたる多摩川の羽村から都心の四谷の大木戸まで武蔵野台地の尾根筋に建設された全長43kmの上水道です。
全長43㎞すべて露天掘りです。地図も空中写真もない時代、素朴な測量器具をたよりにわずか92mしかない標高差利用し、自然流下方式で高いところから低いところへゆるゆると水を流したのです。
浸透性の高い関東ローム層のせいで水が吸い込まれたため流路を変更したり、岩盤に当たったりと、工事は困難を極めたようです。
この工事を請け負った庄右衛門・清右衛門兄弟は、困難な工事で変更を余儀なくされ工費がかさみ、高井戸で資金が底をついてしまうと自分の家を売って費用に充てたそうです。
この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられることになりました。
玉川上水の建設については記録が少なく、よくわかっていないことが多いようですが、「羽村市郷土博物館」や水道橋駅近くにある「東京水道歴史館」に、歴史や成り立ちの詳しい展示があるそうです。どちらも入場無料です。
武蔵野台地の表面は、関東ローム層という火山灰の風化した赤土でおおわれています。台地を作っている砂礫層は、この火山灰層に覆われて地表ではみえなくなっています。
今回の観察地点には、まいまいず井戸という、カタツムリのように井戸に向かって降りる通路のある井戸がありました。すり鉢状に掘られた土地の底に垂直の井戸を掘っています。その小道を通ると、草に覆われた壁面に礫などがわずかに観察できます。
羽村取水堰では多摩川の河床と同じ高さにあった玉川上水は、いつの間にか拝島段丘の上を流れ、多摩川は遥か下になっています。
段丘面の傾斜より勾配を緩くして水を流すことで、ひとつ上の段丘面に出てしまうことを繰り返し、いつの間にか玉川上水は武蔵野台地の尾根まで上がり、緩やかに下りながら江戸の人々の水不足を解消したのです。
NHKブラタモリのおかげで、本屋には地学関係の本が増えました。
地形が把握しやすい凹凸地図や地形や地理からみた歴史など、興味深い本がたくさん並んでいます。
私は仕事でしか制作しませんが、地形模型を作るのも楽しいですよ。
簡単に作れるので、そのうちご紹介したいと思います。
千葉県立中央博物館では、8月11日、20日と二回連続の「地形模型をつくってみよう」という講座があり、簡単なものから複雑なものまで小学生から大人まで楽しめます。抽選ですが、よかったらご応募お待ちしています。
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